OSAKA TATTOO DESIGN
大阪の花「梅」のタトゥーデザイン
大阪の花「梅」のタトゥーとは?
大阪の花「梅」とうぐいすを描きました。
梅の花だけでも素敵なタトゥーデザインですが、鶯と一緒に描いても情緒がある図柄ですね。
「梅」は当タトゥースタジオのある大阪の花とされています。
まだ寒さの残る2月から3月にかけて、とても可愛らしい紅白の花を咲かせます。
どうして、梅が大阪の花とされているのでしょうか?
大阪と梅との結び付けは古く、仁徳天皇の時代に遡ります。
仁徳天皇は即位される前は大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)と言う名前でした。
仁徳天皇のお父さんである応神天皇が亡くなった後、応神天皇にとても可愛がられ皇太子となっていた菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)と大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)の二人の間で、お互いが皇位を譲り合った為に、3年間もの間は空位となっていたのだそうです。
そこで、菟道稚郎子は大鷦鷯尊に皇位を譲る為に自殺をしたと言われています。
仁徳天皇が即位された際に、菟道稚郎子の家庭教師であった王仁と言う人物が献上したのが、
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」
と言う歌です。
仁徳天皇は即位して現在の大阪市中央区にあたる場所に都をつくり、そこを高津宮とされました。
「難波にある高津宮」が難波津として歌に詠まれていると思います。
「難波津に咲いたよこの花が。冬の間は籠っていたけれど、今は春になったと言う事で、咲いたよこの花が。」と言う意味だとされています。
歌の中の「この花」と言うのは「梅の花」であると注意書きが添えられているのだそうです。
奈良時代頃までは花見と言えば梅の花を愛でていたのだとか。
この歌は平安時代には、今で言う「誰でもが知っているヒットソング」となり、初めて書を習う人のお手本とされたそうです。
百人一首の試合では試合開始の合図に百人一首以外の歌を読むのだそうですが、この「難波津に」の歌が序歌として選ばれているのだそうです。
大阪では太閤さんの名前で親しまれている豊臣秀吉が築いた「大阪城」の周りには98種、約1200本もの梅が咲き誇る西日本随一の梅林が広がり、見頃の時期には梅の芳香に包まれるのだそうです。
また、梅は学問の神様とされる菅原道真が愛した花とされ、菅原道真を祀る各地の天満宮などでは梅がシンボル(神紋)として使用され、境内には梅の木が植えられています。
大阪天満宮では毎年1月25日に「初天神梅花祭」が行われ、梅の小枝をお供えし、御霊を慰める行事が行われます。
タトゥーデザインとして世界的には派手さのある桜の花が有名ですが、梅には静かな美しさともされる古き良き時代への郷愁を感じる様な魅力があります。
梅と桜にはどの様な違いがあるのでしょうか?
梅と桜の違いは「どの様にお花が枝に付いているか?」や「花びらの形」で見分けを付けます。
梅は花と枝とを結んでいる花柄がないので直接枝にくっついて、一節に一花が咲いています。
花びらの先は丸くなっています。
桜はと言うと、花柄が長く、枝から少し離れて一節にいくつもの花を咲かせています。
花びらの先は二つに割れています。
どちらも、それぞれの良さがありますね。