TATTOO MEANING
行者武松のタトゥーデザインの意味
行者武松のタトゥーデザイン
水滸伝の登場人物の中でも、一番長く物語に登場する「武松(ぶしょう)」のタトゥーデザインや意味を紹介します。
行者(修行僧)の格好をしているので、行者武松(ぎょうじゃぶしょう)とも呼ばれています。
「どうして、行者の格好をしているのか?」と言うと、逃げる際に行者の格好に変装して逃げたためだと物語で語られています。
何から逃げた?どうして逃げた?
武松の物語を続けます。
武松は身の丈が八尺(約2m42cm)もある大男です。
元々は河北省の清河県と言う町で暮らしていましたが、役人とケンカをして、相手が気を失ったのを「死んでいる」と勘違いし、町を離れて滄州横海郡にある「柴進」の広大な邸宅に身を隠します。
かねてより大酒飲みで、酒を飲んで暴れる事も多かった武松は、邸宅の下男からはうとまれていたのだそうです。
身を隠して1年ほど経ったころ、病気にかかり廊下に火鉢を出して温まっていたところ、通りかかった男の足に火箸がひっかかり火鉢の火が武松の顔に飛んできました。
驚いた武松はその男の胸ぐらをつかみ、「貴様、何をする!」と大きな声で怒鳴ったところ、下男達が騒ぎを聞きつけてやって来て、「この方は主人の大切なお客様だ」と言います。
「自分もお客様だが、扱いが違う」と腹を立て殴りかかろうとしたところ、邸宅の主人「柴進」がやって来て、「この方は宋公明さんですよ。」と説明しました。
そう、宋公明とは「水滸伝」の主人公「宋江」の事です。
義を重んじ助けを求める者には援助を惜しまない好漢として宋江の名を聞いていた武松は、すぐに詫びを入れ、皆で酒を飲んで過ごしたそうです。
病気もすっかり治り、故郷でケンカした役人が死んではいなかった事を知った武松は、二人と別れて故郷へと戻ります。
武松の虎退治
故郷へ帰る途中の「陽穀県の景陽岡」の峠にさしかかり、そこに酒屋を見つけた武松は、出された美味しい地酒を三杯あっという間に飲み干しました。
この地酒はたいそう美味しいが、かなり強いお酒で、三杯飲むと峠を越えず、店の門を出た途端に倒れるとまで言われるお酒だったため、店の主人は三杯以上出そうとしない。
もっと飲ませろと大暴れしそうになる武松に、しょうがないと計18杯ものお酒を出したのだそうです。
大酒を飲んだ武松は故郷へ戻るため、店を出て峠を越えようとしました。
そこで店主は武松を引き留めます。
実はこの景陽岡は人食い虎が出る峠として有名で、既に何十人もが犠牲になっていました。
そのため、日中の限られた時間に大勢で隊を組んでのみ通行が許可されていました。
店の主人が引き留めるのを、『自分の宿に泊らせたいだけなのか?、これ以上酒を飲ませないためなのか?』と勘繰った武松は、主人の忠告を聞かずに一人山を登り始めます。
登り始めると官印つきの立札に「虎が出る」旨が記されています。
ですが、主人の忠告を振り切って出発した手前戻るに戻れず、そのまま先を急ぐことにしました。
日も暮れて先を急ぐのですが、酒の酔いがまわり、ついには歩けず横になってしまいます。
大きな石の傍に横になった時、一陣の風が舞い、目の前に大きな虎が現れました。
飛びかかった虎をかわし、虎の背後に回った武松は素手で虎を殴打し、息の根を止めました。
このインパクトのあるシーンは「武松打虎」として、ダイナミックなデザインからか刺青の図柄でも人気があります。
武松と武大
人々に悪さをはたらく人食い虎を退治した武松は陽穀県の都頭に任命され、名が広く知れ渡る事となりました。
陽穀県の都頭となった武松はある日偶然に兄の武大と出会います。
大きな武松とは大違いで、身長も低く、顔も醜かった武大ですが、若くて大層綺麗な「潘金蓮」と言う妻がいました。
じつはこの「潘金蓮」は以前にお金持ちの家で女中として働いていたのですが、家の主人から言い寄られている事を主人の妻に告げ口したところ、主人が怒り、醜い武大と結婚させてしまったのです。
その頃の中国では貧しい女中たちは仕える主人が結婚相手を選んだのだそうです。
「潘金蓮」は醜い武大に不満があったのですが、英雄「武松」が弟だと知り、あの手この手を使って武松をかどわかそうとしますが、そんな手にひっかる好漢「武松」ではありませんでした。
都頭として2ヶ月間陽穀県を離れた武松が県へ帰ると、なんと兄の武大が胸の病で死んで四十九日になると聞かされます。
今まで兄に胸の病など聞いた事がなかった武松は、死因に釈然としないものを感じます。
兄の仏壇に手を合わせ、兄と共に一晩を過ごそうと仏壇の前で横になったところ、夜中に仏壇から兄の霊が現れ「弟よ、俺は無念である」と言いました。
やはり何かあったのだと思った武松は、その日から兄の本当の死因を探り始めました。
周りの人々の情報を整理すると、どうやら妻の「潘金蓮」が町のお金持ちの「西門慶」とねんごろになり、武大を疎ましく思い、毒をもって殺害した事が分かりました。
兄の供養だと言って「潘金蓮」や近所の者たちを家に集め、「潘金蓮」に兄殺しの罪を白状しろと凄みました。
武松の迫力に怖くなり、罪を認めた「潘金蓮」の首を切り落とし、その首を持って浮気相手の「西門慶」が金持ち仲間と酒を飲む店に乗り込み、「西門慶」を二階から投げ落とし、その首を切り落としました。
本来ならば死刑も免れぬ行為ですが、武松の今までの良い行いなどが評価され、孟州に流される事になりました。
武松から行者武松へ
孟州牢城では、牢役人の息子の「施恩」と言う男が、美味しいお酒や食事を用意してくれるため、武松は日々を快適に過ごす事が出来ました。
ある日「施恩」に「どうしてそんなに良くしてくれるのだ?」と尋ねたところ、「実は新しく赴任した張団練と言う司令官が、身の丈九尺(約2m72cm)もある将門神と言う男を使い、私は縄張りを奪われ大怪我を負わされてしまった。最近になってようやく動けるようになり、なんとか武松さんの力を借りて恨みを晴らしたい。」と言いました。
「施恩」の話に乗った武松は大男の将門神を簡単に倒し、「二度と町に戻らない」と約束させました。
ところがこの将門神、すぐに司令官の元に告げ口しに行きます。
司令官「張団練」は策を練り、武松を泥棒に仕立て上げて罪を着せて殺す事を計画します。
武松の活躍に惚れ込んだのだと近づき、家に住まわせ、家族のように接しました。
武松に大酒を飲ませたある夜、「泥棒が出た!」と叫んだ「張団練」に武松はまんまと泥棒に担ぎあげられてしまいました。
張団練から賄賂をもらっていた役人たちは武松の言う事など聞かず、恩州に流刑される事となります。
張団練たちは恩州に向かう途中に護送役人を使って殺してやろうと企んでいましたが、何かおかしいと気付いていた武松は襲ってきた役人たちを倒し、その内の一人に「誰の差し金か、白状すれば助けてやる」と言って、将門神と張団練の名前を聞き出しました。
怒りの収まらない武松は、すぐに孟州城へ引き返し、将門神と張団練などを切り殺しました。
武松の首に賞金が掛かることになり、武松は張青と言う者の居酒屋に逃げ込み、そこの孫娘の思い付きで行者の姿に変装して逃げることになりました。
ここから、「行者武松」と呼ばれるようになったのです。
迫力あるやり回しで有名な大阪のだんじり祭りでは、だんじり(地車)に施された彫り物も素晴らしいと評判です。
様々な題材が彫られていますが、行者武松の虎退治の場面を彫ったものもあるそうです。