SIDDHAM
毘沙門天(ベイ)梵字の意味
毘沙門天(ベイ)の梵字のタトゥーデザイン
- 仏様
- 毘沙門天
- 発音
- ベイ
- 真言
- オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ
毘沙門天は、如来、菩薩、観音、天部、とある内の天部に属し、仏教世界の中心にそびえる須弥山の北方の天敬城と言う蓮の花の香りが住むお城に住み、須弥山を護っていると言われています。
梵名である「ヴァイシュラヴァナ」は「ヴィシュラヴァス神の息子」と言う意味があり、おじいさん、お父さんと偉大な神の家系に生まれました。
日本では七福神の一仏として、甲冑に身を包んだ姿がよく知られています。
梵字としてだけでなく、勇ましい姿をタトゥーデザインとして描く事も、また七福神として描く事も多いです。
右手に槍を持ち、戦いの神、勝利の神として信仰されていますが、
もともとのインド神話では、地下に埋蔵されている財宝を守っている神とされ、富や財宝の神様とされていました。
インドから中国に伝わる際に「ヴァイシュラヴァナ」の音を漢字に変えた「毘沙門」として、持国天・増長天・広目天と共に四天王の一尊として、戦いの神「武神」として信仰されるようになったのだそうです。
また、「ヴァイシュラヴァナ」は「全てをもらさずよく聞く知恵者」と訳す事が出来るため「多聞天」としても呼ばれています。
日本では、どちらの名前も耳にしますが、呼び分けとして「四天王の時は多聞天」、「独尊の時は毘沙門天」とされています。
戦国時代の武将「上杉謙信」は生涯で幾度も戦いを繰り返してきましたが、ほとんど負ける事がなく、自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じ、「我を毘沙門天と思え」と言っていたのだそうです。
毘沙門天は戦いの神として、武士達に深く信仰されてきた様です。
左手に持った宝塔から人々に宝物を与え福徳を授け、右手に持った鉾で悪を払うとされ、戦いの神としてだけでなく商売繁盛や降魔厄除の神様としても崇められていたそうです。
当タトゥースタジオのある大阪には「神峯山寺」と言うお寺があり、日本で初めて毘沙門天が安置されたお寺と言われています。
鎌倉時代末期の武将である楠木正成は、なかなか子供が産まれなかった両親が毘沙門天にお願いをしたところ産まれた為、幼名を多聞丸と名付けられ、自身も毘沙門天を深く信仰していたそうで、この大阪の神峯山寺には楠木正成が奉納した殿中刀が残されています