TATTOO MEANING
九紋龍史進のタトゥーデザインの意味
九紋龍史進のタトゥーデザイン
中国の四大奇書の一つである水滸伝に登場する108人の豪傑の一人「九紋龍史進」のタトゥーデザインや意味を紹介します。
水滸伝の登場人物を描く事も多いですが、「九紋龍史進」は人気の人物の一人です。
体に9匹の龍の刺青が入っているため、「九紋龍史進」と呼ばれています。
入れている龍は「青龍」と言われています。
「青龍」は中国では天の四つの方角を司る「四神(東の青竜、南の朱雀、西の白虎、北の玄武)」の一つとされます。
九紋龍史進の様に、刺青が入っている登場人物を彫ることは二重彫りと呼ばれます。
水滸伝に登場した時は若干18か19歳の時で、分かっている中で最年少の登場人物とされ、若くして9匹もの龍の彫り物を入れている事や、108人の豪傑の中でも最初に登場する事も人気の理由と言われています。
九紋龍史進と王進との出会い
九紋龍史進は華州華陰県史家村で多くの土地を持つ富裕農家の一人息子として育ちますが、農業には興味を示さず武芸にばかりのめりこんでいました。
母親はいくら言っても聞かない史進に対しての心労で病気になり、亡くなってしまいます。
父親は跡取りは半ば諦め、評判の良い武芸の師匠を雇ったり、彫師に刺青を彫らせてやったりしていたのだそうです。
史進が18~19歳の時に年老いた母親を連れた「張」と名乗る男が屋敷を訪ね、一夜の宿を求めます。
親切な史進の父親は食事や酒を用意し、客間を提供しました。
実はこの男と言うのは、東京で禁軍(宋国の官軍)の武芸教頭をしていた王進でした。
その頃の都で権勢を振るっていたならず者の「高俅」と言う男は昔、王進の父親に棒術を習っていた時にこっぴどくやられた恨みがあった為に王進を疎ましく思っており、仕返しを恐れた王進は逃亡をし、都を離れたのでした。
一晩経って、王進の母親が病気で動けないと知った史進の父親は、病気が良くなるまで屋敷に滞在する事を勧めます。
滞在して5~6日経ったある朝、王進は庭で棒術の稽古をしている史進に「なかなかの腕だ。しかし、それでは真の達人には勝てない」と口を滑らせてしまいます。
自分の腕を馬鹿にされた史進は腹を立て勝負を申し出ますが、あっさりと負けてしまいます。
ここで王進は自分の身分を明かして説明したところ、史進と父親は「もっと屋敷に滞在して武芸を仕込んでくれるように」と王進に願いでた事で、史進は半年間本格的に武芸十八般すべてを初歩から習う事となりました。
九紋龍史進と3人の山賊
腕が熟達した史進を見届け、王進が廷安府へと旅立って半年ほど経つと史進の父親が亡くなり史進は家業を継ぐ事になります。
その後4カ月が経った頃に史進の住む史家村に、近くの少華山に住み町や村を荒らしている3人の山賊が村を襲撃してきました。
その内の一人「陳達」と一騎打ちをして破り捕えると、残り2人「朱武と楊春」が武装もせず、「陳達」の釈放を求めてやってきます。
そんな2人の義侠心に打たれ、3人に酒や食事を振るまい解放しました。
その後付き合いを深くするのですが、交流が役人に見つかり、屋敷を役人に取り囲まれます。
3人の山賊は「自分たちを役人に突き出してくれ」と言いますが、任侠心に厚い史進は自分の屋敷に火を放ち、皆を引き連れて逃げ出しました。
自分たち山賊の頭領になって欲しいと言う申し出を断り、王進を頼って関西の経略府を目指し放浪の旅に出ました。
九紋龍史進と梁山泊
放浪の旅の途中では、魯智深と知り合って意気投合し、彼とともに荒れ寺の瓦罐寺に巣食う悪党を倒したりしますが、魯智深と別れた後は路銀も使い果たし結局は3人の山賊のいる少華山に戻り首領に迎えられます。
数年後のある日、史進が山を下りると罪を犯して辺境の地へ護送される途中の男に会います。
その男は、自分の娘が華州で評判の悪い役人「賀太守」に目を付けられ、「妾にしたい」と言う申し出を断ると、娘はさらわれて妾にされ、自分は犯罪者にされて辺境の地へ送られようとしていると言います。
それを聞いた史進はすぐに役人を倒しに役所へ向かいますが、敵に捕らえられてしまいます。
すでに梁山泊入りしていた魯智深が、梁山泊入りを史進に勧めに訪ねて来て、史進が捕えられている事を知り単身で助けに行きますが魯智深も捕えられてしまいます。
魯智深を心配してやって来た梁山泊の好漢達に史進と魯智深の2人は救い出され、史進は手下の山賊たちを引き連れて梁山泊入りを果たします。
着物を腰まで脱ぎ、上半身の龍の刺青をあらわにして長い棒を巧みに使って戦う史進の姿がタトゥーでもデザインされる事が多いです。
当スタジオのある大阪には、九紋龍史進の全身の彫り物の図柄「青龍」ではありませんが、「白龍」を祀った神社があります。
「白龍」とは白い龍ではなく、白い蛇の神様を指すそうです。
龍の起源とも関係がありそうですね。