TATTOO MEANING
金太郎(坂田怪童丸)のタトゥーデザインの意味
金太郎(坂田怪童丸)のタトゥーデザイン
端午の節句などで飾られる事の多い「金太郎(坂田怪童丸)」のタトゥーデザインや意味を紹介します。
金太郎は「金太郎の抱き鯉」や「金太郎の鯉退治」など、良くデザインされる題材の一人です。
「金」と目立つ一文字が書かれた赤色の腹掛けをして、鉞(まさかり)を担いで熊の背に乗る姿は、端午の節句で飾られる五月人形や絵で一般的に良く見られます。
大きな鯉を抱く姿や、大きな鉞を担ぐ姿などが、TATTOOとしてデザインされたりします。
金太郎は「坂田金時」の幼名とされています。
通称「坂田怪童丸」とも呼ばれています。
金太郎にはいくつかの伝承があります。
その一つとして語られている説を紹介します。
彫物師の娘の八重桐(やえぎり)が京にのぼった際に、京都で宮中に仕えていた坂田蔵人という男性と知り合い結ばれ、子供を身籠ります。
子供は故郷で産みたいとして、八重桐は一人故郷へ戻り、956年5月に金太郎を出産したのですが、坂田蔵人が身内の抗争で亡くなってしまった為に京へは戻らず、一人故郷で金太郎を育てる事となります。
足柄山で熊と相撲を取ったり動物たちと遊んだりしながらすくすくと育った金太郎は、一人親である母親を助ける力持ちの優しい男の子に成長しました。
金太郎と源頼光との出会い
976年4月、金太郎が19歳の時に足柄峠を源頼光が通りかかり、大きな木を倒した金太郎の力量を見て、是非家来になって欲しいと言ったのだそうです。
坂田金時(坂田公時)と改名した金太郎は、その後「渡辺綱」、「碓井貞光」、「卜部季武」と共に頼光四天王と呼ばれ、大江山に住み都を荒らして人々を困らせていた鬼の酒呑童子を倒したとも言われています。
端午の節句に男の子の飾りとして金太郎が用いられるのは、健やかに育ち出世した金太郎の姿と重ね合わせ「立身出世」や「強健」を祈り、守り神の様な象徴としたからだと言われています。
刺青での金太郎の図柄にも、「出世」や「武勇」、「強さ」などを意味するとして人気があります。
当タトゥースタジオのある大阪には「松屋町筋商店街(まっちゃまち)」と呼ばれる人形屋さんが並ぶ通りがあり、大きな黄金の鯉にしがみつく金太郎の飾りがビルの壁面に付いている人形屋さんもあり、大阪らしい(?)と評判です。